きょうは佐世保でした

きょうは、佐世保近辺を一日中うろうろ。

お客さまと知人の方々におめにかかり、いろんな話でもりあがり、時間を忘れて楽しくすごしました。帰路につくころはすっかり夜になってしまいました。

わたしは、大村市内に住んでます。
午前中に佐世保へ向かう時間帯は、いつも楽しみです。山や大村湾の景色を観察しながら運転します。すると、季節の変化にともなって山も海も表情が変化します。景色の変化を楽しみながら運転します。

特に晴天の日は、車に飛び込むすばらしい景色を見ながら「生まれてきてよかった」と至福の世界を感じることがあります。

運よく本日は晴天日でした。

あけの会 https://www.akenokai.net/senior

2017年11月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : akenokainet-senior-blog1008

幸福を呼ぶ、ルーティン

たまたまネットで見つけた記事です(一部記号等を加筆)。

思い当たる部分が多々ございます。

私は、短い人生が「運」によって決定される比重は非常に大きいと思ってます、いかがでしょうか。

すごく参考になりますし、これをできるだけ実践したいと心がけていますけで、なかなか、、、、、。

よろしかったらぜひ、みなさまもご参考になさってください。

「運がいい人」の行動パターンはこれ!

幸福を呼ぶ、ルーティン
 

生きていくうちに気づいていくこと、それは人には「運のいい」「悪い」があること。ただし、それは生まれる前から、大きな力によって決められたものではなく、「私次第」でどうにでもなる──ということは、実は知られていないのかもしれません。小さな心がけが小さな幸せを呼び、それはやがて、大きなパワーとなって周りの人を巻き込んでいく。そんな、幸福のスパイラルを起こす行動パターンを探ってみました。

●“ピンチ”を“チャンス”に変えられる

私たちの毎日は、ピンチの連続です。小さなことからシリアスなものまで──どうにかこうにか、そういった状況をやり過ごして生きています。運がいい人でいるのか、悪い人になってしまうのか。もし、日々降りかかるピンチの数に差がないのであれば、起こったことをどう捉えるかが、決定するのかもしれません。自分の責任で危機的状況に陥ったのであれば、何が悪かったのかを振り返ってみる。もし、取り返しのつかないことになってしまったら、誠意を尽くして謝り、フォローする。これができるようになったら、その人にとってのピンチはチャンスに変わるのかもしれません。
 

●当たり前と思うことほど、危険なことはない

毎日起きる、小さくて嬉しいハプニングに、ひとつとして、見逃していいものはない。そのことに慣れてしまったりおごったりしたら、あっという間に色あせてしまう。どれだけそのキラキラをすくいとり、感謝できるかが、その人が楽しそうに輝いているかを決める。

時間を作って指先に美しい色を塗る。毎日丁寧に眉を描く。もしかしたら、おいしいものを食べる、心地よい素材を身に着ける──なんていうのも、そうかもしれない。そう、最もいとおしい自分に、これでもか、と愛情をかけましょう。「気を使う」ということは、「気を入れる」ということ。唯一無二の「私」という存在に、愛情深い気持ちをこれでもか、と注ぎ続ける。それを、黙ってさらっとできる女性は素敵です。

●「どうして私だけ?」は、もうやめよう

次々と押し寄せるピンチ。「どうして私だけ?」と自分を「かわいそうがり」、さまざまな窮地をなんとか乗り越えて涼しい顔をしている人を指差して、「あの人はずるい」、と目を吊り上げる。そうしていることこそが、よっぽどピンチだったりして。

“ありがとう”って、素晴らしい言葉だと思う。相手だけでなく自分をもふんわり包み込み、幸せな気持ちにしてくれる。そしてペイレス……。何かをいただいたこと、してくれたこと、思いをシェアしてくれたこと、許してくれたこと、そして叱ってくれたこと。ありがたいと思ったのであれば、その気持ちをきちんと伝えよう。「ありがとう」と。そして、「~~してくれてありがとう」より、「~~させてくれてありがとう」と言えるような人になれたらいいな、と思うのです。

 

●「自分なんて」は自分が聞いている

「自分なんて」という言葉。謙遜のつもりなのか、卑下なのか。いともたやすく使う人がいる。聞いている相手にも「自分なんて」を宣言し、大切な存在ではないことを印象づける。もちろん自分自身にだって。最も近くにいる自分が、自分を好きになれなくなってしまう、危険な流れ。

言の葉。口からすべりだし、たくさんの人の元へ飛びだしていく。それがいつも楽しそうで、ポジティブな光に満ちていたら、その人自身が輝きだす。そうした人の周りには、多くの人が集まり、楽しいオーラに包み込まれます。このことも、そして。自分の口から放たれる言葉に、どれだけのパワーがあり、よいことでも悪いことでも、実現のゴールに向かって動きだすことも──たくさんの経験を経た私たちは、きっと、もう知っています。
 

●言葉は心に直結しているから──

今の時代、「いえいえ私なんて、つまらない者です」は、美しい謙遜ではない。仕事を任せてくれる相手、愛情を注いでくれる相手に、「なんて」を聞かせることは失礼。

祖母から継いだシンプルなパールや、1カ月迷って手に入れた、美しい色石のリング。これ以上似合うフォルムがないと確信した、ウエリントン型のサングラスも。たとえばこんな「お気に入り」を、その人は、大切に丁寧に扱い、深い愛情を注ぎ、慈しむ。こうしたひとつひとつが、自分にも周囲の人々にも、ポジティブな波動を伝え、そうしてこう思わせるのです。「この人は、きっと、私のこともこのくらい大事にしてくれるに違いない」
 

●「適当なもの」=「適当な人」

せっかく「所有する」ものが、まあまあ、そこそこ好き──でいいわけがない。雑に扱えるほど愛情がないものばかりで満たされているのであれば、その人の人生は、いつまで経っても、まあまあで、そこそこ、なのだ。

もしかしたら、私たちはせっかちすぎるのかもしれない。人生は長い。途中思い通りにいかないことが起こったり、投げだしたくなるような状況に直面しても、それは気の遠くなるほどの長い時間の積み重ねから見たら、ほんの一瞬。「現在」は、過去の積み重ねでもあるけれど、未来への道しるべでもあるのです。よいことも悪いことも。「Everything happens for reason」。すべては意味があるから起きるのです。もし辛くなったら、今置かれている自分の立場を、20m上から眺めてみよう。もちろん想像で。果てしない時間軸のなかで、「今」はほんのショートタイム。
 

●ぶれない強さは信頼になる

いつでもイライラ、苦しそうで辛そうな人とは、あまり時間をともにしたくない。緊張を強いられる人間関係や、思わず息をのむような大変な状況を、自分で咀嚼せず、そのまま周りの人に「渡して」はいけない。

世間が決めた常識や、誰かが決めたルールに、それほどとらわれる必要はない。仕事のやり方や、自分のあり方や、人づき合い。もしかしたら、子育ては、その最たるものかもしれません。正解や答えは自分が知っています。自分が信じたら、それが正しいことがあるのです。ただし、その責任は自分で取らなくてはいけません。万が一起きてしまった問題も、もちろん成功も。すべてを受取り、その後のケアまでするのは、自分自身なのです。決定権は自分にあります。世間や人のせいにしなくていいことの、なんて楽なことか!
 

●止まっていては何も始まらない

守りに入ってしまったら、その人はそこからは成長しない。失敗をするかも? 新しい経験は面倒くさい? そうして逃げ込んだ無風地帯は、決して安全ではなく。おそるおそる顔を覗かせたときには、すでに世界は自分を置いて、変わっている。

20代前半で大学のミスコンで優勝するのと、60歳の同窓会で、50年来の友人たちに、感嘆と羨望の「きれいねえ」の言葉をもらうのと。あなたならどちらを選ぶだろうか? 80年くらいは続くであろう人生の、ごくごく前半にピークをもってこないでほしい。明るく楽しげなゴールは、できるだけ先に。60歳でも70歳でもいいけれど、先に目標があれば、その間、コツコツとトレーニングを重ねられる。おしゃれも、美しさも。本番は60歳から。お母さんのおなかからもってきた「生まれつき」や、いわゆる実家のバックボーンも卒業し、私たちは私たちの力で、そこに到達するのです。
 

●可能性は非常識のなかにある!

自分が進むべき道や、決めるべき事柄を、「常識だから」とするのは、無責任だ。なぜなら、もしそれが間違った方向へ進んだら、誰かの、何かのせいにできるから。一見、「常識にあらず」と思えるところに、可能性は眠っている。

着こなしをチェンジし、メークを替え、自分のいる場所から思い切って飛びだしてみる。ときに失敗したって、アクションを起こす人には風が起き、その風が状況をさらに変えてくれる。数十年生きてきたからといって。それなりに辛いことも通り過ぎ、さまざまな経験を積んだからといって。間違いのない方程式を手にしたと、勘違いしてはいけないのです。生きている、ということは変わること。変わるということは、進化することなのです。
 

●人生のピークはできるだけ遠くに

早くにいろいろなことを経験しなくてもいい。辛いことも、もしかしたら楽しいことだって。物事には光と影がある。人生の早いうちに、光だけを味わわないように。「幸せごと」に、先走りすぎるのは、もったいない。

(by DRESS 2月号)

2017年3月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : akenokainet-senior-blog1008

私、結婚できないんじゃなくて、しないんです

昨年度にテレビ放映されたドラマ「私、結婚できないんじゃなくて、しないんです」

は本当に女性の結婚観を表現してくれました。題名も的を射てますね。

20代30代40代の女性の「結婚」にたいするスタンスは下記コラムでもありますよう

に、このところ変化しています。

長く結婚相談所を経営してますと、はっきり実感できます。

年齢に関係なく女性に共通しているのは「いい男性がいたら紹介しください」ということ。

ですから「あまり好まない男性とは結婚しない、それより独身で生涯を終える選択を

します」という意思表示でしょう。

特に20代30代の若い女性はその傾向が強いように思います。

40代女性は微妙です、ほとんどの女性は一度結婚生活を経験してます、

個人差がいろいろ。年齢的にまだ若さと可能性が残っているのでさまざまの選択肢が

ありますから、自由に「自分さがし」にチャレンジしてみたい、

自分自身の人生について少し考えてみたいかもしれません。

50代60代になりますと明確な傾向が見えます。ご自分の老後をどのように過ごすかを

考えるようになられるようです。

以下記事は、ネットで見つけた「おおしま りえ」さまのすばらしいコラムです。無断

転載してごめんなさい。この筆者はたぶん東京?住まいの都会人と思いますから、

長崎のような田舎都市の結婚事情と少しずれがあると思います。

(以下、コラム)

「私、結婚できないんじゃなくて、しないんです」と言う女子の本音とは

2016年春ドラマ「私 結婚できないんじゃなくて、しないんです(TBSテレビ)」が女子の共感を得ています。「中谷美紀の不器用っぷりがすごい分かる!」と、「結婚しない女子」からみるとよくぞ言ってくれましたという感じとのこと。

このドラマは長年「結婚はできないんじゃなくて、しない」と言い張っていた中谷美紀扮する女性が、「本当は恋愛も結婚もできないんです!」と認め、BARの店主によるスパルタ恋愛ノウハウを叩き込まれて、幸せを掴んでいく物語です。

実際の世の中にも「しないんです」派の女性は多いもの。今日はそんなしない派の言い分を集めてみました。

■ 40代しない派は自分を見つめたシビアな結果

「今さら頑張って結婚して得られるものって何だろうって思ったら、しない選択に落ち着いてますね」

そう語るのは都内で人事マネージャーを努める43歳の女性。趣味は旅行と韓流アイドルということで、私生活は趣味にお金も時間も大半を費やしているようです。少し前に都内にマンションを買い、完全にしない派としての地盤を固めた彼女。しないと選択した決め手はなんだったのでしょうか。

「元々凄くしたかったんです。だけどモテる訳じゃないし、仕事を必死にこなしていたら、もう30代半ばになってました。そこから『あーできないのかな私?』って一時は焦りましたが、焦っても婚活的な(当時は婚活って言葉もなかったけど)事をする気力も友人もいませんでした。その結果が今です」

そういう彼女は、昨年行ったというトルコ旅行の写真を楽しそうに見せてくれました。最近はペットを飼おうか検討しているそうですが、頻繁に海外旅行に行けないのではと思うと決意できないそうです。

■ 30代しない派はなんとなく本気になれないだけ

続いて話を聞いたのは、34歳でバリバリの営業職女性。正直見た目も可愛いし性格も明るいのに、なぜしない派として生きているのでしょうか。

「したい気持ちも、一応あります。ただ、もう4年くらい彼氏もいないし、今そういう男性もいないので『あーそろそろダメかも』って意識はリアルにあります。でも、じゃあ婚活を…って真面目な感覚になれないんです。自分は結婚にあまり向いてないのかもしれません。一応弟は結婚して孫をもうけたので、私は介護とか別の面で両親には孝行していければいいかなーと思っています」(34歳営業)

彼女は今も誘われれば合コンに行ったり、飲み会に参加したりするそうです。しかし営業職でバリバリなのに実はシャイなせいか、中々結果に結びつかないようです。まさに、このドラマを見るべき女性なのかもしれません。

■ 20代しない派はまだ今の彼としないだけ

最後はまだまだこれからの女性に、なぜ今「しない」と選択するのか理由を聞いてみました。

彼女は23歳で社会人2年目。1年程付き合った彼は結婚したい願望が強いそうですが、今ではないと思い、やんわり流し続けているといいます。

「いつか結婚はしたいんですが、今する気はないです。だってまだ仕事も覚えきれてないし、それに今の彼氏でいいのか…って気持ちがかなりあります。むしろそこです! 今の彼だから、結婚しないんですって感じかな(笑)。周りの子はすぐに結婚したい?って言う子ももちろんいますが、私はもう少し仕事をしっかりしたいですね」(23歳ウエディング関連)

最近は婚活も若年化しているといいますが、そんな中仕事をしっかりしたいという女性もいるものですね。今の彼氏ならしない…という言い分が、裏目に出ないことを願うばかりです。

今回の意見はもちろん個々の女性の考え方です。しかし、年齢によるそれぞれの「しない」という決意の強さや葛藤には、共感を覚える方もいるのではないでしょうか。世代は違えど、女性はみんな悩みながら生きているんだなと感じました。(おおしま りえ)

2017年3月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : akenokainet-senior-blog1008

中高年シニアの出会い・お見合い

「相手に好印象をもってもらうこと」の大切さ

私は毎日、多くの方々とお目にかかります。そして、痛切に気づくことがあります。それは「初対面の第一印象」の大切さ、とりわけ「服装」です。

面談する場合、まずは電話のやりとりからはじまります。

「あけの会」は創業以来ずっと出張相談システムですから、電話でアポイントを取り、出先で面談します。時間・場所を決定し、目的場所へ向かいますが、いつも「どんな方かなあ」とわくわくします。電話の声が耳に残っているので、相手の人柄を想像しつつ車のハンドルを回します。

私はできるだけ早めに到着して相手を待つことにしています。そして、初対面。

まるで探偵のように、電話の様子からイメージしてた方と、目の前に現れた方が一致するかどうか、これはスリルがあってなかなかの楽しみでもあります。予想が当たれば嬉しくて自分を褒めたくなります。しかしなかなかピッタリはなくて、ほとんどが異なります。

そして、最初に受けた第一印象は一枚のスナップ写真のように私の中に残ります。以上は、ご入会ときのことでありますが、おそらく「お見合い」のときにも同様のことが言えるような気がします。

お見合い時に、女性が、初対面の男性にがっかりする大きな原因の一つが「服装」です。

女性は日ごろから、服装、ヘアスタイルやメイク、ネイルなど身だしなみに気を遣っている方が多いので、その分、あまりにも場違いな服装で現れる男性にはがっかりする、ということが少なくようです。

例えば、「Tシャツにジーパン、スニーカー」、「アロハシャツに短パン、サンダル」などのカジュアルすぎる格好や、「シワシワ、ヨレヨレのシャツ」で清潔感のない格好、また、気合を入れて着てきたであろう「派手すぎる柄のジャケットやシャツ」が逆に浮いてしまっているなど、男性本人は気づいていないようです。

婚活では、「相手に好印象をもってもらう」ことが大切です。まずは外見で女性のチェックをクリアしなければ、自分の内面を理解していただく前にアウト。仕事で忙しい男性は、買い物に使う時間がなく、洋服を選ぶことから遠ざかっている方も多いと思います。また、ファッションが好きな男性は女性よりも圧倒的に少ないのが現状です。

一方で、女性は男性よりも外見に興味・関心が高い。その女性に好印象をもってもらうためには、必ずしもスーツネクタイの正装でなくてもよいのですが、いつもより身だしなみに気を付ける必要があります。とりわけ清潔感をアピールできればOKです。

何事も「相手からどう見られているか」という視点を忘れないことが大切ではないだろうかと思います。草野

高齢社会

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長崎市・中高年シニアの婚活出会い結婚相談所「あけの会」管理人草野です。

高齢化が急速にすすんでいます。
みなさまご存知のように、15年後には成人人口の50%以上が、65歳以上です。
これはもう高齢化社会ではなく、「高齢社会」そのものです。
高齢社会の問題は、医療介護だけでなく、はっきり言えば社会コストの問題であり国家財政的な問題であります。
労働者人口の半分が65歳以上ということは、もう一人分の給料も稼がないと社会の仕組みが、機能しないということです。
もし、子どもが二人いたら、これだけで家庭のお金がたくさん必要になります、稼がないといけません。
そして、子育ては「子どもとの時間」も必要です。
残業しすぎたり、妻が長時間パートで忙しかったら、子どもの情緒にも良くありません。

したがって、社会的な課題として、労働時間を延ばさずに、労働価値を2倍以上に高めることが必要です。
年金制度を改革しようが、医療保険制度を改革しようが、財政難で「ない袖は振れない」ものです。
そもそも根本原因は、人口構造の変化(異常な少子高齢)です。
今になってバタバタと、子どもを産めよ増やせよ言っても、実を結ぶのに20年以上の時間を要します。
20年たっても、即戦力とは言えず、バリバリ働けるようになるには、あと10年は必要でしょう。
つまり、子どもを増やす対策は、時間が間に合わない、様々な制度変更も、問題の先延ばしでしかありません。
現実的な解決策としては、「ムダを減らして、稼ぐこと」しかありません。
国は高齢化対策のための「お金がない」わけです。
解決策は、国をあてにせず日常生活の中で「ムダを減らして、稼ぐ」しかありません。
自分の幸福のためだけでなく、社会的責任として、「ムダを減らして、稼ぐ」ということが、とても、とても大切です。
だから、もし、「ムダを一つ減らせた」だけで、社会貢献とも言えます。
そうすることで、政治家や官僚など、会合で議論している人達よりも、何倍も、何十倍も、何百倍も、社会に役立っていると私個人は、思っています。
いかがでしょうか。

 

 

flowergarden-400このところ、ほんとうに異常天候はなはだしいと思いますけど、みなさまいかがでしょうか、そう思うのは私だけでしょうか。

特に先月(5月)はひどかったですね。寒かったり暑かったり、まるで一か月間に一年間の四季を体験したような感じでした。

毎年のことですが、越冬後の春先は気分もウキウキ明るくなります。学生は進学先が決まり、新社会人は就職が決まり、また新学期が始まります。これから、なにか新しいことが始まる期待、どんないいことが待っているかなあと希望であふれます。若者の活発な活動が目立つ季節で、私は大好きな季節です。

みなさま、いかがでしょうか。

2015年6月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : akenokainet-senior-blog1008